京阪5000系の5扉運用が終了(2021年1月29日)

ご無沙汰しております。
皆様は日本から現役の多扉車が事実上消えたことをご存知でしょうか。


日本最初の多扉車として京阪5000系が華々しくデビューして以降、JR東日本を中心とした鉄道会社においてラッシュ時の混雑緩和に貢献してきました。多扉車は80,90,00年代と生産年齢人口の多い時代を象徴する存在でしたが、近年はホームドアの設置が全国各地で進み、扉の位置を統一できない一因となる多扉車は次第に邪魔者となっていきました。


関東にいた6扉車や5扉車は中央総武線各駅停車のE231系0番台において最近まで見られましたが、そちらも他線区への転属による編成短縮が発生し、同路線に残留する編成に関しても組成変更が行われ、そのタイミングで消滅となりました。

幸か不幸か元祖多扉車である京阪5000系が全国で最後の存在として残ったわけですが、こちらも2021年(令和3年)1月31日に施行されたダイヤ改正により5扉での運用を終了することが発表されました。こちらも京橋駅にホームドア設置が決まったことによる流れであり、5000系自体も6月頃までに13000系6連によって置き換えが完了する予定らしい。

5000系が5扉の機能を発揮するのは平日の朝限定。旧ダイヤは1月30日までだが、30日は土曜日だったため、5扉最終日は29日の金曜日となった。

恥ずかしながら5扉運用が終了することを直前になるまで知らなかったので、駆け込みになってしまいましたが、最終日は乗りに行くことにしました。

前日なかなか眠れなかったせいで予定の時間に起きられず家を出る頃には9時30分。でも、朝ラッシュが終わってもしばらく5000系は5扉モードで走行しているので問題はありません。


阪急ユーザーの私はモノレールで門真市へ出て、時間があったので守口市へ移動し、車庫に入庫する前のラストランである普通萱島行きを待ち伏せすることにした。


電車を待っている間、時刻表に目をやると既に新しいダイヤのものに交換され、古いダイヤが上から貼り付けられた状態となっていました。京阪の時刻表、情報量が多くなっていて、ここで5000系の5扉運用も見分けることができます。難しい運用表を解読しなくてもどうにかなるというわけです。


2扉車はⅡ、3扉車はⅢの表記があるのに対して、5扉車は何も記載がありません。

6000系の未更新車(6012F6062)で守口市へ移動します。
最近はリニューアル車が増えてきたので素直に嬉しいですね。

到着したら当たり前ですが、一旦改札を出て入り直します。


守口市のホームには思っていたほど同業者の姿はありませんでした。
お目当ての5000系まで20分ほど時間があったので久々に列車撮影をして時間を潰すことにします。


9000系9003F
準急は緑のイメージが染みついている阪急民の私、京阪は青なんですよね(^_^;)


2200系2209F
1965年(昭和40年)製造で55歳の車両です。
余談…守口市の5000系以外の写真データはノートパソコンで現像したのですが、完全に露出調整ミスってますね。ノーパソの画面がアテにならないのは前からの悩みですw


2200系2225F
5000系下車後でお世話になることに。


2600系30番台2634F
1981年(昭和56年)製造、2600系列の末っ子。


9000系9001F


7000系7002F


9000系9005F


10時34分!お目当ての5000系が入線してきました。この頃になるとそこそこ鉄道ファンの姿が。京阪公式の広報さんもいらしてました。


停車時間が3分ほどあったので、その間にお互い譲り合って5つの扉が開いている状態を撮影。


5扉開放状態で5000系を見るのは初めてでしたが、迫力がありますね(語彙力)


電光掲示板の「5扉」という表示も見納めになってしまいます。
駅の放送にも「5扉」というフレーズがありましたが、そちらは録音する余裕が無く耳に焼き付けるかたちとなりました笑


車内に入ると半分くらいが鉄道ファンでした。
ラッシュ用扉の周りを中心に撮影。余所の多扉車と大きく違うポイントが昇降式の座席である。多扉車は終日多扉状態で解放することが多く、締め切ることが可能な構造だった東京メトロ日比谷線03系や東武20050系も締め切られた部分に座席が設けられることは無かった。

扉の動作もスマホによる撮影ですが記録。


多扉車のデメリットは着席定員が大幅に減少してしまうことであり、扉を使わないときにそのスペースを座席へ転換することができる京阪5000系の装備は非常に画期的だったのである。これが1970年代に設計されているというから驚きだ。


座席の機構をじっくりと観察。


隠れてしまっている広告もこの車両の特殊構造ゆえ。


2番ドアと4番ドアが使用されるのはこの日が最後でした。

撮影をしているうちに終点の萱島駅に到着。
出町柳駅まで堪能したかったのは山々ですが、それは寝坊した私が悪い(゚Д゚;)


車内を撮影する余裕など無く急いで下車。
皆さん先頭車両の前に陣取り、お見送りです。鉄道ファンだけではなく地元の沿線民なのかな?という人もそれなりに見かけました。長年利用客に親しまれてきた証ですね。


ゾロ目好きなので5555Fが充当すれば良いなぁと思っていましたが、本当にそうなりました。私はその話を聞くまでそういった発想がありませんでしたが、近くにいたマニアさんが『最後の5扉の列車に5555Fを入れてきたのは分かってるね』的なことを言っているのが聞こえてきて深く納得してしまいました笑


静かに見守られながら回送列車は萱島駅を去って行きました。
5000系自体はまだ乗れるので引退前に3扉状態の5000系も堪能したいところです。

ここからはおまけ。
というか、ただその後の行動を書き残すだけなのですがw

大学の期末レポート類が溜まっていたので元から乗車・撮影が終了したら京都市内にある親友の自宅へ行く予定でした。萱島で5000系から下ろされたので後続の列車で京都方面へ向かうことにします。


萱島駅からはすぐにやってきた準急に乗車。
お馴染みの卵形シリーズ。今回は2200系2225F。2225編成は初期に更新された編成のため、骸骨型の標識灯を維持していたり、他の更新車と違って製造時の抵抗制御のままであるなど異端の編成となっている。


骨董品が平然と走り回っているのに車内の古さを感じさせない5000系が廃車になってしまうのも多扉車の宿命ですよね。


この編成、2200系の中では最末期に製造された編成で1968年(昭和43年)製造である。普段よく乗っている阪急京都線の最古参3300系の一部と同い年だ。川崎重工になる前の川崎車輌。


萱島駅からは各駅に停車する準急。運行上は普通の扱いなのですね。
私はツーハンドルの運転席を見るとワクワクします。


乗り鉄であり音鉄である私、モーターサウンドに癒やされながら乗車。
元々は祇園四条か出町柳まで乗るつもりでしたが、バスに乗り継ぐなら四条河原町より京都駅が良いなぁと思い丹波橋駅で下車。近鉄京都線に乗り継ぐことに。

丹波橋で乗り換えるのは今回が初めてでしたが、乗換改札は設けられていないのですね。知りませんでした。


すぐに急行がやってきましたが、国際会館行き。京都駅に行くだけなら運賃が高額になるのでわざわざ烏丸線直通列車に乗るメリットはありません。


特急列車を挟むので次の京都行き急行までは少し時間があります。
寒いなぁ~と思ってホームに立っていたら様子がおかしい。同業者が数人。


何かくるのだろうかと思っていたら「ああそういうことか」と。たまたま一眼レフを持っていたおかげで思わぬ副産物をゲットすることができましたが、これはまた別の機会に…。

KL22編成(3822)の京都行き急行で京都駅へ。
日立VVVFの音色が美しい。橿原神宮前行き急行として折り返していきました。


幼少期、父の実家へ帰省する際に近鉄京都線を利用していたので「橿原神宮前行き急行」という響きだけで酒がいける…とまではいきませんが感傷に浸れるものです。

その後バスを乗り継いで久々に親友宅に行ったわけですが1泊のつもりが2泊滞在してしまいました。でも期末課題は全て消化することができて無事春休み到来です。時間を有効活用したいですね(長期休みの度に行っている気がするw)

最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。